2006年07月22日

教育、とは何ぞや?

昨日、ふとテレビをつけると、TBSのR30という番組で、

夜回り先生こと、水谷修さんの特別講演会をやっていました。

以前からこの人の事は知っていたのですが、

こういう形で彼の話を聞くのは、初めてでした。


学生の頃、少し“教育”という現場に触れた自分にとって、

いや、果たしてそういう気持ちで本当に取り組めていたのか、

“教育ごっこ”ではなかったのか、という自問自答をしながら、

子供を本気で“受け入れて”ゆく過程の、様々なエピソードを

聞いていました。(子供と本気で“ぶつかる”じゃないんだね)

家でボーっとワンセグ携帯のテレビボタンを押したら…

という感じだったので、話も途中からだったのですが、

フムフム…、と思ったことをいくつか。


・子供は不完全な存在なのだから子供である(オトナに対して)

・一人のオトナに裏切られたからといって、残りの十人のオトナを
 信用しない、一人のトモダチに裏切られたからといって、
 十人のトモダチを信用しない、というのは違う。
 一人のオトナに裏切られたら、残りの十人を信用しよう、
 一人のトモダチに裏切られたら、残りの十人のトモダチを
 信用しよう。(コドモ達に対して。“しよう”、か、
 “してみよう”、か、“してみれば?”かは記憶が曖昧ですが…)


・全てのことにやり直しがきく。ただし、ドラッグだけは後戻りできない。(もちろんみんなに対して。ただ、今暴力団とかが高校生や大学生をターゲットに魔の手を伸ばしつつあるらしい)





今年もまた保育士試験を受けよう、と思って勉強してるのだけれど、

“教育について”のくだりを、いくつか引用してみたいと思います。

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・日本語における教育は(中略)知恵を授け、
 体を育てるという意味である…

・教育という言葉は、英語ではeducationであるが(中略)
 educereに起源する英語のeduceは、引き出す、潜在する能力や
 可能性を引き出し、発達させるという意味である。
 このように英語で言う教育とは、
 子どもの能力を引き出す意味から来ており、
 そのためのさまざまな取り組みが教育活動ということになる。


・社会的に一人前になれば、教育は終わるというものではない。

・教育活動とは、子供の状態、すなわち、要求や興味・関心等を
 良く観察し、見きわめ、それに対していつどのように
 はたらきかけるのが効果的かを絶えず考え、判断し、
 行動することが求められる、複雑で高度な知的活動なのである。
 こうして、不十分な教育、必要以上の教育、誤教育の問題を
 克服しなければならない。

(新・保育士養成講座編纂委員会編(2002)
新・保育士養成講座「第9巻・教育原理」より引用)


紀元前6世紀から、組織的な教育が行われている記録が

あるらしいのだけれど、教育が変わる→人が変わる→社会が変わる

→教育が変わる…だからね。“ココで終わり!”って言うのは

ないんだろうね。


自分を生きることもなかなか大変なことなのに、

人をより良い方向に持ってゆくというのは

もっと大変だということです。

いよいよ試験11日前だ困ったやべ。
posted by おっくん(RAG FAIR) at 17:14| 考えたこと… | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする